あるコラムニストの頭の中身

処世術 コラム

お疲れさまです。勝ち逃げ先生です。今年最後のコラムです。色々とあった一年でしたが、年末年始くらいは心穏やかに過ごしたいものですね。年賀状の準備や大掃除など、我が家は今年のクロージング作業に取りかかっておりますが、今年やり残したことは今年のうちに対応しておかないと、高い確率で忘れ去られてしまうと思うのです。。。というわけで今回は、先日執筆したコラムのコメントに1つ宿題を頂いておりますので、そのアンサーコラムとさせて頂きます。

流石、切り返し方が上手いです。ウサギとカメで、ここまで多角的なものの見方ができる人もなかなかいないと思います。その場のノリでちょっかいを出してみましたが、その内容についても取りこぼしがありません。

何をどう努力してそういう見解の広さを身に付けたのか、いつかコラムで読んでみたいものです。

第三者が存在しない主体的な世界

先日のコラムに上述のコメントを頂きました。ぼくはこの問に対して、「難しい注文だけど真面目に考えるから自己分析する時間が欲しい」と言ってその場を濁しました。それから1ヶ月以上経過したわけですが、けっきょく明確な答えは出ていません。なぜならば、見解の広さなんて他人と比較のしようがありませんし、そもそも自分自身が比較対象である以上、どんなに頑張っても客観視なんて出来ないのです。という訳で、これ以上時間を頂いたところで明確な答えは出てきません。期待に応えられずに大変申し訳ないのですが、今回ばかりは「ギブアップ」です。

ただしこの1ヶ月以上もの間、なにも考えなかった訳ではないことと、その間考えた事が無駄になるのは極めてもったいないので、今回は「あるコラムニストの頭の中身」と称して、コラムを一筆したためることにしました。正直なところ、ご質問の回答にはなっていませんが、それでも興味があるならば続きを読んで下さい。

物事を多角的に見ることについて

ぼくが物事を多角的に見ているのは、ある種の職業病だと思ってます。プロジェクトには、クライアント、経営陣、現場リーダーやSEにプログラマ、下請けまで数えたらものすごい数のステークホルダーで構成されていて、それぞれに考え方や言い分があります。あまりこんな事は言いたくありませんが、みんな自分の領域の事しか考えていません。とはいえ、プロジェクトを成功させるためには彼らに協力して頂かなければならず、それが出来なければぼくの存在価値はありません。相反する利害関係者同士を唯一結びつける事が出来るのは「共通の利益」だけです。それを見つける為には、あらゆる立場の視点で物事を見ていくしかありません。ぼくの場合、職業柄その環境が前提としてあります。

しかし、物事を多角的に見ることなんて別に難しい話ではありません。ぼくの場合、職業として実践しているという意味では、他の人より多少のアドバンテージはありますが、ほんの少し訓練をすれば誰にでも出来る話です。特別凄いことではありません。それよりもぼくが重要視している事があります。それは「自身の考えを相手に伝えること」です。見たり聞いたりして感じたことを相手に伝える能力の方が、物事を多角的に見ることよりも大切な能力だと思っていますし、相手に伝える能力は一朝一夕で身につくものではないとも思っています。

思考を言語化する力

自身の考えを相手に伝える能力を一言で言うと、「思考の言語化」です。考えている事を相手に伝えるためには、必ず言語に置き換える必要があります。1歳の子供でも「あ〜」とか「う〜」とか言って、「思考の言語化」を頑張っていますが、それはレベル1の段階です。このレベルが高いほど相手の心の奥に入り込むことが出来ます。たとえば、前回コラムの「IT業界にメンタル不調が多い根本理由」ですが、ITエンジニアなら誰でも思ったり経験していることをただ書いただけです。目からうろこ的な事は何一つ書いてませんが、多くの方から共感を頂けました。

考える能力と伝える能力はまったくの別物です。人は必ず何かを考えながら生きています。したがって、考える能力に大きな差があるとは思えません。しかし伝える能力に関しては、顕著に能力差が現れます。考えた事をうまく相手に伝えられなければ、それは考えていないのと同義です。ぼくが、考える能力以上に伝える能力の方が大切だと思っているのはそういう理由からです。たとえば同じ景色を見た二人がいて、一方は絵を描くのが上手くて、もう一方は下手だった場合、どちらの方が見た景色を伝えるのが上手いのか?という話です。これと同じ話で、物事を多角的に見ること自体は誰にでも簡単に出来ますが、それを相手に伝えるとなると話は別です。

ぼくのコラムが人と違うところがあるのだとしたら、この伝える力の部分の差だと思っています。上述の通り、ぼくのコラムはどれも大した内容のことは書いてません。ITエンジニアならば誰もが思っているありきたりな見解をただ文字にしているだけです。この、ITエンジニアなら誰もが抱えている思考や経験という目には見えないものを、文字という目に見える形に変換するのが、ぼくのコラム真骨頂であり、そのことがぼく自身の見解の広さだと、多くの読者が錯覚しているのだと思います。ようするに、読者のみなさん自身が見たり聞いたりして感じた経験や知見を、ぼくのコラムを読むことで再認識しているだけなのに、ぼくから得た知見だと錯覚しているのです。

一朝一夕とはいきませんが、「思考の言語化」も訓練次第でどうにでもなります。そのことに才能なんてありません。必要なのは努力だけです。ぼくも最初は左手で絵を描くようなレベルでした。ちなみに「思考の言語化」能力を高めたければ、とにかく数多くの文章を書くことです。どのみち高度情報処理技術者を狙うなら午後の論述問題は避けられません。ぼく自身、15年前に受験したこの試験をきっかけに論文を書き始めました。「思考の言語化」のスキルアップに興味がある方は、是非チャレンジしてみてはいかがでしょうか?

以上がぼくからの回答です。冒頭にも申し上げたとおりギブアップ宣言しておりますので、今回のコラムがご納得して頂ける回答だとは思っていませんが、ひとつの仮説としてお楽しみ頂けたのであれば幸いです。あと誤解の無いように申し上げておきますが、「思考の言語化」のくだりに関しては、ご質問頂いたコラムニストに向けたものではございません。あしからず。

あとがき

今年もあと1週間ですね。みなさんはやり残した宿題はありませんか?残念ながら、この連休も外出できそうにないですね。そういう場合は知の探求を楽しむに限ります。コラムを読むのも良いですが、コラムの執筆にチャレンジしてみませんか?「思考の言語化」能力上がりますよ。さて来年の再開予定ですが、ぼくは17連休を頂きますので、次のコラムは1月中旬になります。皆さん元気でお会いしましょう。それでは良いお年を〜。 

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